書道家 中本白洲(はくしゅう)の公式ブログ

日本人としての『たしなみ』書について学びましょう!

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六朝書の研究をすすめ独自の書風を確立した日下部鳴鶴の紹介  中本白洲

   

 初めて楷書を習う時、

初唐の虞世南(ぐせいなん)[孔子廟堂碑]

欧陽詢(おうようじゅん)[九成宮醴泉銘]、

ちょ遂良(ちょすいりょう)[雁塔聖教序]の

名蹟を 学び、次にだんだん六朝に進めますが、

学会では六朝をここで学びます。

ここでは月刊競書雑誌『不二』の楷書の課題が

日下部鳴鶴の臨書がテーマですので

日下部鳴鶴を知っていただくために

紹介します。

ここで日下部鳴鶴の筆法を解説致しますので

日下部鳴鶴の生きた時代や歴史的

背景を知り、書法の理論を理解して、

教室で学んでください。

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日下部鳴鶴の 廻腕法(かいわんほう) , 腕を大きく廻し、肘から先をほぼ水平に半月の形に張り出して 運筆する方法。

日下部鳴鶴は彦根藩出身、明治維新後には官僚となり

大書記官まで務め厚い信任を受けていた人物。

大久保利通が暗殺された後、

官を退き書の道一筋に生きていく決意をした。

明治12年(1879年)鳴鶴42歳(数え年)だった。 

翌年、鳴鶴は清国公使の随員として来日した楊守敬(ようしゅけい)と出会った。

守敬のもとに4年間通い、中国の漢魏六朝時代を中心とした書体を学び、

その後、鳴鶴は近代の書道界の第一人者に登りつめたのです。

日下部鳴鶴は特定の人物に師事はなく。

しかし20代の時には、貫名菘翁の書に傾倒しており、

40代の時には、来日していた楊守敬のもとで碑学、六朝書、篆隷の研究を行っている。

その後は中国書法の研究をすすめ六朝書道を基礎に独自の書風を確立し

多くの弟子を育て。

有名な揮毫の石碑に 津田永忠碑大久保公神道碑がある 。

日下部鳴鶴は楊守敬(ようしゅけい)の影響を受け

六朝楷書の筆法を踏襲した書であることを

理解できますね!

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六朝楷書(りくちょうかいしょ)とは、中国南北朝時代、北朝で発達した独自の

楷書体の総称をさし。

現在の楷書の起源となった書体の一つです。

「魏楷」「北魏楷」とも言います。

楷書体をマスターするには楷書の起源となった、六朝楷書すなわち

日下部鳴鶴の筆法が良い訳です。

六朝楷書には下記の様に方筆と円筆方があります

方筆
起筆や転折(おれ)を角張らせて力強く線を引き、
石を刻むように書く筆法。六朝楷書の主流です。
張猛龍碑のように自然な勢いに任せて大胆に書くものと、
高貞碑のように骨太ながら正方形に収まるように
緊密な書き方をするものとがある。
円筆
起筆や転折を丸め、全体的に柔らかい筆致で
書く筆法。六朝楷書の一部に見られ、
鄭文公碑』を代表とする鄭道昭
に代表される書法です。

 

大久保公神道碑鳴鶴の最高傑作

 

 

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日下部鳴鶴は数多くの弟子を育成しました。

日下部鳴鶴が揮毫した碑は全国に数多くあります。

中でも大久保公神道碑は鳴鶴の最高傑作といわれる。

1838年、彦根藩士・田中惣右衛門の次男として生まれる。

1859年、22歳の時に同じ彦根藩士・

日下部三郎右衛門の養子となる。

鳴鶴は、天保九年に彦根藩士の子として生まれた。

父三郎衛門は、桜田門外の変、万延元年3月3日、

江戸城桜田門外で大老井伊直弼(いい・なおすけ)

を殺害された事件。

父三郎衛門はに大老井伊直弼の供頭役(ともがしら)

に任じていて亡くなった。

鳴鶴自身も槍術の名手であった。

しかし1860年、藩主の井伊直弼が桜田門外で暗殺されたため禄は

大幅に減り生活は困窮したが

上京し書道に専念する決意をしている。

維新後、新政府が成立すると徴用され太政官に勤める。

内閣大書記官となるが当時仕えていた

大久保利通

紀尾井坂の変で暗殺されたことを機に

退官し書道に専念する。

特定の人物に師事してはいない。

しかし20代の時には、既に亡くなっていた

貫名菘翁の書に傾倒しており、

40代の時には、来日していた楊守敬のもとで碑学、

六朝書、篆隷の研究を行っている。

その後は中国書法の研究をすすめ

六朝書道を基礎に独自の書風を確立し

多くの弟子を育てる。

また中国に渡航し碑文研究を深めると同時に

呉昌碩などの文人と交流し、「東海の書聖」

と称されたといわれている。

その一方で碑文の揮毫や雑誌の刊行、名跡研究などに努めた。

1922年、85歳でその生涯を閉じる。

日下部鳴鶴は、楷書は鄭道昭、草書は書譜、

隷書は張遷碑などをみずから熟し、人にもすすめて、

伝統の和様感覚とは別途の新感覚の書風を確立して、

″鳴鶴流″として一世を風靡した。

特に鄭羲下碑や高貞碑をベースとした楷書は、

新興国家の意気軒昂の風潮にぴったりしたので、

建碑の文字としても盛んに持て囃された。その最高傑作が、

いまも東京の青山墓地にある大久保公神道碑である。

楊守敬から日下部鳴鶴らに伝えられた廻腕法

、懸腕法の一種で、四本指を前方にかける四指斉頭(ししせいとうほう)法で、

これを鳴鶴は神田温恭堂製(現在もこの店が同じ場所にあります)

の羊毫の超長鋒筆「長鋒快劔」、「一掃千軍」で

みごとに熟したから、スケールの大きな書が生まれたのであった。

この建碑は勅命によって行われたもので、

伏見貞愛親王が篆額を題し、本文は重野成齋が撰文

、書は大久保利通と縁が深く、当時、第一人者といわれた

日下部鳴鶴に勅命が下ったのである。

鳴鶴は、それまでにも数多の碑を書いているが、

勅命かつ恩顧を被った大久保公の神道碑であったから

加賀山中温泉の大倉財閥の別荘を半年にわたって借りうけ、

斎戒沐浴して取り組んだ

斎戒沐浴とは

「斎」は酒や肉をたって心の汚れを清めること。

「戒」は身の過ちを戒めること。

「沐」は髪を洗い、「浴」は体を洗うこと。

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有名な揮毫の石碑に 津田永忠碑があります

ここに津田永忠碑を紹介します

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後楽園の正門を入ってすぐの松林の奥に、津田永忠の事績を讃える大きな石碑「津田永忠遺績碑」が立っています。 碑文の末尾には、「明治十九年一月 従三位勳三等侯爵池田章政撰文、正五位日下部東作書、中備 藤田市太郎刻字」と、刻まれていますが、この碑が立てられたのは、明治二十九年十月のことです。

下記は過去の月刊競書雑誌『不二』の課題です。

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「津田永忠遺績碑」の一節です

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中本白洲臨書

 

日下部鳴鶴を知るためここに

高貞碑(六朝楷書)について紹介します

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六朝楷書で特に北魏は楷書の宝庫、特にこの高貞碑は北魏の雄大、

初唐の整正を兼ねて 理性的な書です。

楷書学習には格好の模範で高貞碑にみられる

結体の巧緻、筆力の強靭、抑揚の変化を学びましょう。

三国六朝時代は世相が変わり仏教が興って、

芸術発展の基礎が出来上がり、

それに応じて書には南方に王羲之

北方に鄭道昭の天才が出現。

北方の書は雄健素朴、代表作に高貞碑(こうていひ)

石門銘鄭道昭の諸碑、張猛龍碑などがある。

張猛龍碑(522)や高貞碑(523)などの直線的な鋭い方筆に対し

鄭道昭の書は一般的に曲線的であることから

円筆の代表といわれています。

しかし、鄭道昭の書は方筆の要素も多分に秘めています。

論経書詩や東堪石室銘は、円筆と方筆をうまく織り交ぜた傑作です。
楊守敬が明治13年(1880)日本来日時、

日下部鳴鶴、巌谷一六、松田雪柯の3人は、

常に楊守敬の寓居を訪ねて六朝書法を研究し、

これより六朝書道が日本でも盛んになった。

大久保公神道碑が六朝楷書 そのものである。

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高貞碑の概説
 高貞碑は清の嘉慶11年(1808年)に山東省徳県から出土して、

現在は山東省博物館に隣接する山東省文物考古研究所にある。

北魏の正光四年の刻。先帝・宣武帝の皇后の弟・

高貞の26歳の死に臨み「魏故営州刺史懿侯高君之碑」として建立。

232×91㎝。全24行、一行ごとに46字が楷書で 篆額は陽文で

「魏故営州刺史懿侯高君之碑」と刻されている。

北魏後期の書は方筆系と円筆系に大別され るが高貞碑は

方筆系に属している

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高貞碑(こうていひ)は、中国の南北朝時代、北魏の正光4(523)年6月に建てられた高級貴族の墓碑です。

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篆額部分の拡大です。 碑額には装飾調の篆書によって「魏故営州刺史懿侯高君之碑」と記されている。

 

 碑文は楷書で1行46字。全24行、

中央3行は戦後文化大革命による文化財破壊に遭って

家の敷石にされた際に失われた。

現在この部分はコンクリートでつながれただけで、

文字は復元されていない。

碑額には装飾調の篆書によって

「魏故営州刺史懿侯高君之碑」と記されている。

 

横画の書き方

45~50度に筆をきっかりと打ち込み走筆は中鋒で平勢にする。

終筆(収筆)は起筆と同じ方向で筆を止め、軽く止めてから元に戻す。
収筆は抜いた感じで角を付けていない。

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偏と旁の関係

北魏の書高貞碑は偏と旁が入り込んでいる

間の取り方に特長がある。

筆勢は平正で力強い横画が高い緊密感と安定性を生んでいる。

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この様に偏と旁が入り込む表現は他の古典には見られない、高貞碑独特なディフォルメを学びたいものです。

 縦画の書き方 

縦画は垂直で鉤(こう:ハネ)の部分が長く直線的で厳正な形態に特長がある。

筆を斜め45度からしっかり紙に食い込む様な調子で打ちこみ、

一旦軽く筆圧を加えてからちょっと戻し そのまま中峰で縦に引く。

ハネの書き方 下端で筆を止め起筆と同じ調子で筆を少し起こし、

筆を押し出すようにして 筆圧を加えながらはねる。

 ひょろひょろと浮いた線にしないことです。

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中本白洲臨書

中鋒  運筆法の解説に二種ある。

1.筆の穂先が常に点画の中央を通るべしとすること、

かくすれば  筆力沈潜して趣到深きものとなる、

という説。  (以下略)

2.楊守敬は前説に反対し、画の中央を常に穂先が通ることは変化を

与えないことになる。穂先を中正に持っ

ておれば、八面に穂先が時に応じて出ることが

できて変化ある筆法となる。(以下略)

 

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